40男の嫌われコラム



2013年6月16日

俺は見た、を4月に立ち上げました。俺は見た、は、僕が見たものを僕が書いて、演出して、上演していく団体です。団体と言いましても僕一人しかいません。4月の公演を見てくださったお客様で、「俺は見た、は他人の生活を覗き見しているような作りだったので、俺が、俺は見た、だった」とおっしゃったかたもいました。どのように捉えていただいても結構です。25歳で役者を志したんですが、当時演劇は大嫌いでした。あの、大きな声を張り上げ、普段と違う声を出し、汗だくになってる役者たち。大袈裟な芝居。見てるほうが恥ずかしくて、出たくもありませんでした。ですから、映画をやりたかったんです。自主映画に出させてもらいました。十数本出ました。当時付き合っていた彼女の計らいで、某事務所に所属し、映画やテレビの仕事を待ちました。最初の二年、仕事がありませんでした。そして、テレビやVシネマの仕事を自分で獲ってきました。純粋に事務所のマネージャーが仕事を獲ってきてくれたのは6年たってからでした。自分で獲ってきた役より、いい役ばかりでした。でも、芝居ができませんでした。毎回駄目でした。現場で怒られました。呆れられたこともあります。監督やスタッフ達が口をきいてくれなくなりました。なぜ、だろうと思い考えてみました。台本が読めませんでした。人間関係、コミュニケーション、物事を深く考えるということをやらずに生きてきたことに気づきました。まず、シナリオセンターに通いました。発声と呼吸を習いに行きました。なんで、役者やるのかを考えました。そして、何がきっかけだったか忘れましたが、演劇を見始めました。年間50本見ました。自分でプロットを書き始めました。そして、自分で作品を作ろうと思いました。出たい監督や演出家の作品になかなか出れないので。40歳で、10年所属した事務所を辞めました。もう、自分で作るしかない状況になりました。それでも、実際、やるまで、4年かかりました。俺いつかはやるだろうなあ、と思ってることは、時間がかかるかもしれませんが、将来やることになるでしょう。恐らく。僕は、まだ、俺いつかはやるだろうなあ、ということが他にもあります。多分それはいつか、やります。




2013年7月11日

近年、心の広い人が増えました。それは、やさしさではないです。我関せず、という類です。言っても分かんないじゃん、と言うことみたいです。余計なことに腹を立てたりすることが無駄だという人がいます。怒らないようにしてるみたいです。でも、何かを生み出す、作り出す人は怒りがあったほうが自分を搾り出せると思うんです。生身の人間を演じる役者(役者にも色々種類がありますが)や、生の社会、人間関係を作り出す演出家は今自分が持ってる感情がリアルなものに繋がっていくと思うので、普段自分がどう思って生きてるかってことを感じるのが大事です。練習っていうのじゃなく、自分のもってるもっとシンプルなものを新鮮に引き出せるか、搾り出せるかっていう努力です。怒りだけでも駄目なので、それを客観的に見ることもしなければなりません。俺は見た、は芝居ですから、結局は嘘ですが、生、本物にいかに近づけるかをやっていきます。エンタメはやりません。ですから、世の問題に対してスルーは絶対駄目なのです。僕は上手い役者とどっかで見た芝居には全く興味がないです。本当にいる人、実在する人に見えるほうが魅力的です。出演者が、普段と一緒でもいいのです。その役の人に見えれば。「役者」が立っている、と思ってしまった時点でその芝居はつまらないものになります。本物の、その人の中にしかない感情、怒り、痛み、それと向かい合うことが、魅力を引き出すのです。次の公演が終わるまで、僕は毎日毎日怒ってると思います。



2013年8月16日

近頃の報道で。人気のバンド、sが4世代で人気トップとか何とか。私も好きでしたが、最近・・・?。2011年9月、宮城県利府町にて復興ライブを行いました。それまで色んなアーティストが被災地に行き、ゲリラライブを行ったり・・・勿論金なんて取らないですよね。被災した人たちのすぐそばで、エネルギーを与えたんじゃないでしょうか。で、このsの2011年9月宮城ライブはチケット8500円でした。売り上げの一部が被災地に寄付されたようですが、・・・目的がわからないです。被災地での集客ですが、被災者である宮城県民対象だったのか。勿論満員だったんでしょうが、被災者から高額なチケット代を取るのかと。又は、被災者でも裕福な人を対象にしたのか。裕福な人から生活が厳しい人への寄付はわかります。県外からの客を集めようと思ったのか。県外から人が入って来ると景気が良くなります。実際復興バブルもありました。ただ、近隣の方々の話では車の渋滞がひどかったと。サッカー場ですので、試合があれば渋滞はあるんでしょうけど、何もその時期に、っていうのはあるんじゃないでしょうか。あの時期の宮城でチケット代を取るのは理解できない。寄付するなら他でやってそれを寄付すりゃいいんじゃないって思います。神戸の震災の際、おにぎりを一個千円単位の金額をつけて売ってた人たちがいたみたいです。それでも、買う人は結構いたみたいです。その噂を思い出しました。ライブの話に戻りますが、当時大々的に宣伝もしてました。でも時期ってのがあるんじゃないですか?そりゃ、大して被害の無い地方の人たちは、「おう。sやるじゃん」とかになるんでしょうけど。ただ単に被災地で、宮城でやろうよ、みたいなのって安易ですね。安易ですよ。そういうの多いですけど。どんだけ分かってんのって。そして、その後の戦略が見えてしまう。ビジネスが。それを企画した人の意図がなんとなくわかるんです。私もそうですが、東北人は騙されやすいんです。



2013年10月2日

よくわからないこと。アベノミクス。東京オリンピック。今のアイドルグループ。



2013年10月4日

よくわからないこと2。政治家を動かしているモノ。小久保ジャパン。



2014年2月11日

ナチュラルな芝居、が若い役者たちには好まれてるようです。でも、ナチュラルを勘違いしている人もたくさんいます。ただ、声のトーンを日常と同じにすれば、ルーズにしゃべればナチュラルになると思ってる人、そんな単純なことじゃないです。昨年知り合った若者が、自主公演をやったようです。ぼそぼそ喋って、つまらなかった、と見た方がおっしゃっていました。ぼそぼそ喋っても臭い芝居になることもあるんです。ナチュラル、って、台本とか、演出によりますし、役者同士がちゃんと絡んでるか、っていうことだと思います。。例えば、明治座の芝居で、一人だけ現代口語演劇みたいな芝居をする役者がいたら、その役者は下手、になってしまうのです。ぼそぼそ喋って観客をひきつけられる芝居をするのは、難しいです。見様見真似だけでできることじゃありません。表面的にやると、絶対、つまらないものになります。逆に臭くなります。そして、その役者の生き様も必要とされると思うんです。生き様っていうのは、かっこいいことだけじゃないです。カッコ悪いこともすべてです。ただ、立っていて、人を引き付けられる役者、ちゃんと相手と絡める役者、そして、台本をアドリブのように、何度も同じように喋れる役者がすばらしいなあ、と思います。



2014年2月17日

以前にも書きましたが、アーティスト、クリエイターの社会性について。アーティストだから、クリエイターだから、別にいいじゃん、というのは違うと思ってます。社会からドロップアウトした、なんていうことを自慢げに言ったり、言われることを何かうれしく思ったり、俺はみんなと違うから、ということで優越感に浸ってる人、たくさんいます。
約束を守る、上下関係を気にする。上下関係っていうのは、年齢ですね。そして、相手との距離感がわかる。距離感は感覚だと思います。こういったことを重んじるのは、日本人のいい部分だと思います。何ものであろうと同じ社会、日本で生きているのですから。よろしくお願いします。



2014年3月30日

先日芸能ニュースで、小林旭が、自身が演出する舞台の稽古で、出演者である東てる美に対しダメ出しを繰り返し、終いには降板させた。これはイジメだ。という内容の記事が出てました。どこのどなたが書いた記事か分かりませんが、そんなこと言ったら、日本の役者、何万人いるか分かりませんが、ほとんどの人が、そういう経験してるんじゃないでしょうか。私なんか、どんだけイジメられたか、っていうことですわ。こういうことを、いちいちマスコミが騒ぐから怒る人がいなくなるんです。怒る人がいなくなると、常識を知らない連中が出現する。日本はもっとダメになりますな。マスコミに踊らされるな。



2014年6月19日

第二回「ニュータウンの影」公演終了しました。たくさんのご来場ありがとうございました。そして、本日、初台の方で芝居を観てきました。中上健次原作ということで期待して行ったのですが・・・なぜあんなに、オマ○コという言葉を乱用するのか・・・十回は言ってたような。二回までならいいと思いますが。僕には理解できませんでした。すいません。



2014年6月28日

昔々、私が生まれる前にやっていたテレビドラマがリメイクされるようです。テレビドラマ、映画、もう本当に・・・リメイク、漫画原作、小説原作が多い多い。安易だと思いますよ、テレビのプロデューサーさん達、代理店の方々。もっと、オリジナルに挑戦してほしいですね。作家もいないのかな?まあ、オリジナルになるとかなり時間がかかると思いますので、そこまでやってられないんでしょうが。そして、またまた、出演する役者はいつものメンバーをずらりと揃えました。取ってつけたようなキャスティング。兄弟に見えねえよ。誰だこれ!っていう役者を使ってみろ!日本にはいい役者がいっぱいいるぞ。



2015年1月5日

ツイッターを始めてから、これを書く機会がなくなってしまいました。久々に、書きたいと思います。世代間の価値観の違いを最近とても感じます。特に20代に対して。私と20位の歳の差があるのですが、逆に20上の人の価値観って、なんとなくわかったりするし、理解できたりするんです。下に対してはなぜ、理解できないのか。ゆとり世代っていうのは本当に価値観が違うのか。びっくりしたのが、20代半ばの男子の発言。「察しろ、なんて言われたってわかんねえよ。言わないと。女の子じゃねえんだからさあ」つまり、女みたいに、言いたいことを言わない、じゃなくて男なんだからはっきり言えよ、ってことなんでしょうね。今までの日本男児のありかたとしては、男は多くを語らず、とか、親父の背中を見て、とかそういうことが美学だったりしたわけです。むしろ女はおしゃべり、というイメージだったと思うんですけど。ほーん、新しい価値観、というか見方だなあ。とある意味感心しました。でも、察する、って、日本人のいい部分だと私は思うんです。日本独特の島国気質の一つであり、(あまりよくない島国気質もあるとおもいますが)とても、人間の幅を広げるものだと思っています。イメージすることだったり、引き出しをふやしたり、他者理解にもつながり、可能性が広がると思うんです。察することは、確かに大変です。他人の事を、自分と違う人の事を考えなければならないので、とても疲れます。疲れるから、考えることの拒否、思考停止状態の人が増えているんです。そしてその拒否、停止、察する、ということに対して、年配者がなにも言わないから、なにも伝わっていかない社会になっているということです。人間の行動が自由になっている、ということなんでしょうね。疲れることを避けて通ってもいい自由さ。人がなにしようが、何考えようが自由じゃないか、ほっとけ、やっかいなことになるのはごめんだから、みたいな。でも、それが、愛といえるのか。やさしさ、といえるのか。もっと人間社会で生きているってことを意識しないと、この先、ほんとうの関わりがなくなると、私は思います。又近々、ゆとり世代について書きます。



2015年1月7日

ゆとり世代について。第二弾。小学校の運動会。徒競走で、最後は全員でゴール。競争じゃないじゃん。意味ないでしょ。って思います。皆一緒とか、先に行った人は待ってて、ってことですよね?平等に、っていう言葉も、その世代ではよく聞きます。確かに、今の20代前半は平等の意識が高いと思います。それをはき違えて、年齢まですっ飛ばしてしまう社会性がない人も出てきています。ちょっと違うんじゃない?平等であることを訴えたり、差別に対する反抗は、昔々からありましたし、私もそういう考えは持ってます。前回の作品「ニュータウンの影」も差別、というのが一つのテーマとしてありました。でも、皆一緒っていうのは、平等とはちょっと違うのではないかと思うんです。皆一緒の意識は村社会を生む。そして、個人がそこから飛び出そうとしたり、個性を出したりすると、村八分になる。ある意味、ゆとりって古いやりかただったのかもしれないなあ、と思うんです。皆一緒に、差をつけず、競争をせず、ゆとりをもってやりましょう、でなにが新しいものが生まれるんだろう。とびぬけた個性なんて出てこなくなるじゃないか。